Translated by momo

* Tobey Rules *
W Magazine January 2000


 トビー・マグワイアは、つまるところ、自分自身がそうであるという手持ちのカードから、複雑な思春期の青年像を作り上げてきた。しかし今回、『サイダーハウス・ルール』の主役では、成人期を迎える際の苦悩に対し、表現する要領というものを既につかんでいるようだ。

青白い顔にほんの少しのあごヒゲ、Tシャツとスェットパンツにほっそりした体のトビー・マグワイアは、プラスティックの箱を引っぱりだし、パチンとフタを開ける。
サンセット・ストリップのコーヒーハウス、彼の前にはオートミールのボウルがあり、後ろのスピーカーはバロック音楽の大きな音を響かせている。彼は、とても大きな瑪瑙のような感じのカプセルの、様々な色の配列を試しているところで、それはハリウッド大通りの、並んだ敷石のように見える。

そのカプセルはビタミンで、医者の処方によりそれを飲み下すのは、急性の喉の炎症のためにマグワイアが払う代償だ。それは言葉を変えれば、得体のしれない若々しい不安を、感受性に富んだ映画好きの青年にもたらすことになった過去2年間の、その猛烈な仕事ぶりに対する代償でもある。

『アイス・ストーム』の寂しげな私立中学校生として、また『プレザント・ヴィル』の郊外に住むテレビ漬けの少年として、批評家の関心を素早く掴んだ後、マグワイアはあいついで公開される3本の映画の主役として、こうしてやって来ている。最初の作品は、アン・リー監督の流血の叙事詩『楽園を下さい』で、これは去年の11月に公開された。この作品で彼は南北戦争でその純真無垢さと、ジュエルが演じる未亡人により童貞を喪失するという、南軍のゲリラ兵を演じている。次に続いたのはラッセ・ハルストレム監督の『サイダーハウス・ルール』で、ジョン・アーヴィングの原作によるものだが、ナイーヴな孤児、ホーマーという役柄である。そして今はカーティス・ハンソン監督の『ワンダー・ボーイズ』を撮り終えたばかりで、その中ではマイケル・ダグラスの、素晴らしい才能はあるのだが自暴自棄という生徒を演じている。この作品は今年初めに公開の予定だ。

”僕の中から、その映画の事を追い出すために、修復用のちょっとした時間が必要なんだ。” この一連の濃密な作品群について、マグワイアは、いまだティーン・エイジャーのような震える声で語る。
”まるで恋愛関係のようなものだよ。ひとつの作品から見たら、他の作品の監督との仕事は、ほとんど奇妙なものに思えるんだ。その他の監督を裏切ってるように感じるんだ。”

マグワイアについて監督達の話を聞くと、彼と仕事をすることは、まさにまるで恋の鞘当てでもしているようにでも聞こえる。
”妙なことだけど、浮き浮きしたね。”ハルストレムは言う。グリフィン・デュン、彼はオスカーにノミネートされた1995年の短編『デューク・オブ・グルーブ』で、疑問だらけの10代という設定の俳優を監督したが、マグワイアの、感情のこもった、凝視する目について話している。
”あの瞳、”彼は言う、
”あの瞳の背後で、様々なことが起こっているんだよ。だけど、僕がそんなことを言うと、いつもトビーは「別に何も起きてないよ」って言ったものだ。”

『サイダーハウス・ルール』におけるマグワイアの控え目な演技は、その感情表現に富む彼の瞳−−やや神経過敏にさえなったりもする−−に多くを負っている。ハルストレムは言う、ミラマックスからそのことは聞いたが、しかし気にならなかったと。作品は、1999年のヴェニスの映画祭で1分半から2分間のスタンディングオベーションを受けて幕を閉じ、そのことを思い出して、マグワイアは潤んだ瞳になる。

 彼の仕事始めの事を考えると、マグワイアの自分自身への強い信頼はいくらか驚異的なものだ。与えられて、13歳の時に彼はCMやテレビドラマで演じることを始めた。秘書である母親に従い、彼は演劇の授業を取った。しかし両親は彼が2つの時に離婚しており、貧乏になり、ロサンジェルスの侘びしい郊外を点々とするようになった。
”悪いやりかた方で成長したとは言えないよ。食べ物はあったし、頭の上には屋根もあったし。”ためらいがちに彼は言い、しかしこう付け足す、
”本当に貧しい時もあったね、夜はシェルターで過ごしたよ。”

 このような日々の中で、彼の状況はますます混乱したものになっていった。そして、それは彼を悩ませる、早い時期の挫折となった。
”だれのおかげで悩まなくちゃいけない?かれらがホントは何を考えてたかなんて誰が気にする?”声を大にして疑問をぶつける、
”食料割引券が配給される時に食料品店にいたワケのわからない人たちか?僕らが医療ステッカーを使おうとした時に医者のオフィスにいた人たちか?”

しかし、初めから、マグワイアは俳優としてやっていく説明のつかない自信を持っていた。 ”僕は16ぐらいだった、それが本当に安っぽい自信だと思っていたら、才能をせばめていたよ。”彼は思い出す。
彼は24歳、まだいくらか心配なことがある。彼とレオナルド・ディカプリオが最近解決した訴訟だが、マグワイアが自分のイメージが気になるという理由から1995年に独立系のプロデューサーが作った低予算の映画の配給を抑圧しようとした、とするそのプロデューサーの訴えに、マグワイアとディカプリオがまた訴えを起こした、というものである。

 彼はまた、俳優としての早い時期に『ボーイズ・ライフ』で助けを得た長きに渡る友人のディカプリオ、(彼は時にはディカプリオの、夜遊びの乱暴な逸話の中でその犯罪の片棒担ぎでもあった)その彼に助けてもらうのは気が進まないように見える。
”彼は、他のどの友人たちとも変りないよ、それに僕達はお互いに理解しあってるんだ。”
マグワイアは、写真撮影中の間にもかかってきた、彼の誕生パーティーのプランを話し合おうというディカプリオの電話にさえ、居心地の悪さに肩をすくめながら言うのだ。

 ”彼は、「ああもう、弱ったことになっちゃってさ」なんてつまらない文句でその場をやり過ごす、なんて事はなかったね。”
高校も卒業することなく、大学へ行こうとも思わない、そしてお互いの車の中や、部屋の床で眠るのが常の、快楽的な生活を送るハリウッドの若手俳優たちのことを指しながら、マグワイアについてデュンは言う。デュンが彼に会った時、マグワイアもまた、大学へ行こうなどとは思わない、高校中退者だった。しかし、デュンは言う、
”彼はいつも分別を持っていた。麻薬やアルコールが自分の人生の一部を占めないよう、決意してたんだ。”

彼のやり方が集団と一致していないと言えなくはないが−−あるイメージを発展させるプロセスにおいては、大きく見開かれた瞳をした純真な人間よりはむしろ、口数の多いちびっ子の方を彼はスクリーンで演じる。
”彼はものすごく滑稽にもなれるし、率直で、皮肉を言ったりもできるんだ”
『サイダーハウス・ルール』のセットの間近で、彼を見ていたハルストレムは言う。
”それに、彼のE.Q.は高いよ。感情を測る指数がね。”

 ”僕は、彼の芯の根底のところでは、心が開かれていると思うよ。”
『楽園をください』で共演したジェフリ−・ライトは言う。
”彼が作品の中でこんなふうに物事を表現できるというのは、単に映画で演技することに限ったことじゃないからなんだ。”

 心が開かれていてもいなくても、マグワイアは、自分の恋愛のことについては口をつぐむよう、自身を訓練した。彼に、クインシ−・ジョ−ンズの娘、モデルのラシーダ・ジョーンズと付き合ったり、離れたり、という関係があるのは知られたことだ。
”僕は、そういう質問は適当に放っておくんだ。”ちょっと笑って彼は言う。

 しかし、この秘密主義、自然に思春期に触れないことは、早い時期に得た名声の代償である。 ”仕事を13歳で始めるなんて、おかしなことだよ。”
マグワイアは言う、彼は学校を中退したのを後悔している。
”僕は、確かにもう一つの教育の形で学んで来たよ。僕は自分の頭の中以外のところで、自分の才能をとてもうまく正確無比に磨いて来てるんだ。でもね、実際、正しい手紙の書き方も知らない。文章の構成を習ったことも憶えていないよ。”

 彼は、猫がカナリアを飲み込んだ後のような満足そうな笑みを浮かべ、その薄い唇をきゅっと持ち上げる。
”でも、人は死ぬ運命にあるってことと、果たすべき責任があるっていうことへの僕の理解は深まって来てるよ。”


By Louise Farr