Translated by momo

* The slinging detective *
Sundayherald.com 04/02/2001



真面目な若手俳優トビー・マグワイアは、誠実であることの大切さを知っている。そのことが彼にマ−ベルの、犯罪に立ち向かう神経過敏な戦士、スパイダーマンを演じるチャンスをもたらした。

 ジャーナリストなら、マグワイアのことをレオナルド・ディカプリオの親友、と片づけることだろう。しかしそんなことは実際、このアメリカの最も謎めいた若き映画俳優についての、取るに足らない情報でしかない。彼はまさしく注目に値する、並外れた俳優なのだ。

 好評を受けた一連の作品群により、25歳の時点でマグワイアは名が知れていた。同じ型の役ばかりだったわけではないが、彼が演じたキャラクターにはある共通点がある。その人物達はもの思いにふけりがちな繊細な若者で、瞳を大きく見開き、世間と交わりたがらない。おそらくテレビの見過ぎであるような、あるいは暗い映画館で多くの時を過ごしているのかもしれないような若者だ。マリリン・モンローについては多くを知っているのに、女の子とはうまくいかないシャイな青年、といったところ。

 アン・リ−の素晴らしい作品「アイス・ストーム」でのポールを見てみよう。彼は麻薬を吸い過ぎて、友達の女の子に自分と寝て欲しいという願いから酒を飲ませる、70年代のさえない大学1年生だ。それから「プレザントヴィル」のデイヴィッドの場合。いつでも焼き立てのアップルパイがあるけれど、セックスはメニューから外されているというような、「がんばれ!ビーバー」風の白黒の50年代のテレビドラマの中に吸い込まれてしまうという、情けない青年を演じている。

 もっと近いところでは、「ワンダー・ボーイズ」で彼を見た方もいるだろう。この作品で彼は、有名人の死と、ロジャース・アンド・ハートの曲に取り憑かれている気難しい作家を演じているのだが、犬を撃ち殺し、出版の契約を獲得し、ロバート・ダウニ−・ジュニアと寝るのである。問題を抱えた若者だって?マグワイアが、まさにそうなのだ。

 だからこそ、サム・ライミの来るべき映画「スパイダーマン」で、ピーター・パーカーを演じるのに彼が最も理想的なのである。マ−ベル・コミックスにじっくり取り組む目の余裕と気力がない方のために言っておくと、ピーター・パーカーは自信を持つことが出来ない高校生で、おじとおばに育てられ、放射能を浴びたクモに噛まれ、タイトル名のスーパーヒーローになる。

 もちろん、マグワイアはスパイダーマンを演じてもいるわけだが、ここでこの問題を冷静に考えてみよう。いったい、どんな世間知らずがそんな有名なスーツを着て、ビルから飛び下りるような真似事をするというのだろう。心配性で、まじめで、周辺で起こる犯罪にがんじがらめになるピーター・パーカーを演じるよう、俳優が責任を負わされるのは確かなわけだ。まさにトビー・マグワイアのような俳優が。

 「スパイダ−マン」のごく初期の公式発表を行うため、先月はじめのニューヨークでその会見は写真撮影から始まったのだが、マグワイアは、彼がこれまで演じてきたキャラクターの評から連想されるような’変わり者’(バーギーク/bergeek)−−知識や才能はあるが、自分の殻に閉じこもりがちな、オタクと言ってもいいような青年のイメージ−−には全く見えなかった。黒のTシャツと青いパンツという、守衛のように地味な服装で、穏やかな物腰。しかしまた、映画のため鍛練の成果で盛り上がった彼の筋肉は、せわしなく動いていた。
 ”柔軟性のある動きや、アクロバティックな洗練された動きが出来るように、それに、鉄の塊も持ち上げられるように、ありとあらゆるトレーニングを積んだよ。”
無表情を装いつつ言う、その後に来るジョークのための前置きとして、穏やかに、ゆっくりと彼はそう語った。
”個人的なことになるけど、スパイダーマンと僕には関係があるって説明できるんだ。どうしてかってうと、実際の人生でもふだんから、自分がスーパーヒーローみたいだな、って感じてるからね。”

  実物のマグワイアは、スクリーン上で人々を魅了する素晴らしい存在となるような全ての外見を備えていた。青白い肌と繊細な容貌は、ボヘミアンのようにニュー・エイジなイメージを思わせるグレーの無精髭とあいまって申し分がなかった。しかし最も惹き付けられるのは、彼の瞳だ。大きく、移ろいやすく、悲しげで、共感を誘うような、しかしまた途方もない知性について語っているような瞳。まるで人生の哲学について、多くを知っているといった子犬のように。

 マグワイアは、ロサンジェルスでレオの仲間とお祭り騒ぎをすることに興味も示さず、飲酒もほとんどせず、タバコも吸わず、肉も食べない。ヨガの修練やドミノゲームに、そして決して他人には明かさない彼の恋人と共に、時間を費やしている。

 機会があれば彼は、テレビドラマ「ヤング・ワンズ」のニ−ルのように(訳注:ロンドンでルームシェアをする、個性的な4人の男子大学生が繰り広げるドタバタ劇。ニ−ルはそのうちの一人で、ヒッピー)個人的な人生哲学を長々と、だが見事に語ることだろう、こんなふうに。
”人間は精神的な存在だっていうのを、忘れちゃいけないんだ。内面でいろいろな物事が起きていて、その体験を人生として生きているんだ、っていうことをね。”
だがしかし、彼はスパイダーマンを同一視するようなジョークを言ったりもする。このキャラクターに、自分を象徴するような共通の要素をいくつか見い出していると。
”朝起きると毎日、自分自身にとって、それから尊敬に値する人生を生きようとしている人たちにとって、責任を感じるんだ。僕のまわりにいる人たちにとって、お手本にならなきゃいけないってね。”

 トビー・マグワイアは、1975年、カリフォルニアのサンタモニカで生まれた。父親は20歳で、母親は18歳だった。二人は彼が2歳の時に離婚し、彼は親から親へ、大平洋岸から大西洋岸へ、動き回ることに時間を費やしながら国中を巡って育てられた。歯列矯正のブリッジを買うのにさえ困るほど金が無かったが、母親は時々、途方も無く彼を甘やかしてやった。あるクリスマスの時などは、彼にピアノを買い与えたのだ。

 ディズニーランドの建設作業員の娘、マグワイアの母親は、若かりし頃、ショウビジネスの世界に入りたいと思っていた。しかしそれは叶うことなく、自分の息子に望みを託すことにしたようだ。彼が8歳の時、母親は彼にブレイクダンスを習うよう促し、バレエやピアノのレッスン代を払ったのだった。

 しかしながら、マグワイアは10代になるまでは演技に興味は無く、父親とパーム・スプリングスに住んでいた。それは幸せな時代では無かった。転校生だったため学校では常にストレスに押しつぶされ、毎朝食べたものをもどしていた。彼は、自分の生活の中で興味を持てるものを探し、父親のようなシェフになることに決めた。結局、彼は家庭経営学の科目を学校で選ぼうとしたのだが、代わりに演劇の授業を取るなら100ドルあげる、と母親が口を出して来たのだった。

  ”そのとき12歳で、100ドルなんて、とても大金に思えたよ。”
彼は語る。
”どうして母がそうしたのかわからない。演じることに魅力を感じていて、僕にそういう才能があるって思ったのかもしれないね。それからいろんなことをやってみて、演じることには僕がとても興味を感じられる、なにかすごいものがある、ってわかったんだ。”

 マグワイアはまた、このとき肉を食べるのも止めた。
”そこに座って生の卵があるとする、この白くて細い糸みたいなのは何だろう、って思うんだ、で、料理する前にそれを取り除かないといけなくなる。それがほんとはへその緒だって知ってるのに食べるなんて、気持ち悪いからね。それから鶏肉を食べる時、肉を見て、血管と、まわりの血の汚れや、ごく小さい臓物の部分や、脂肪のかたまりなんかもつまみ出さなきゃいけないんだ。ハンバーガーを食べようとしたら小さくて固いものが歯に挟まって、まったくなんなんだ、って思うと、骨の破片だったりする。”

 ”こんなものが全部自分の胃に入るのかと思うと、吐きたい気分になるんだ。それでしばらくして自分に言い聞かせた、もし毎回肉を食べるたびに嫌な思いをするのなら、止めてしまったほうがいい、ってね。”

 マグワイアは16歳でディカプリオに出会い、友達になった二人は「ボーイズ・ライフ」のオーディションを受けた。レオはロバート・デ・ニ−ロが相手役という主役の座を射止めたが、友達が映画で端役をもらえるよう、手助けしたのだった。撮影の始まる前のある日、マグワイアの留守番電話にこんなメッセージが入っていた。 ”やあ、トビー、うまくやってるかい?君をここに呼んで、小突き回すのを楽しみにしてるぜ”デ・ニ−ロの声だった。
 マグワイアははた目にもわかるほど、ディカプリオについて尋ねられることにすっかりうんざりしているが、彼はこの友人に絶大なる尊敬と愛情を寄せているのである。

 ”レオを見てると、すごいなぁ、って思う。だって彼は本当にいい人間だし、俳優として尊敬もしてるんだ。”
彼は言う。
”彼の成功は僕らと同世代の俳優達に、多くの役柄を開拓してくれたんだ。彼はまるごとほとんど自分の力だけで、この早い時期の成果をあげたんだ。もちろん、彼の前にも、リバー・フェニックスみたいな若手はいたさ。だけど現在のところ、レオはその先駆者だし、僕は大きな意味で彼に感謝しなきゃいけないと思ってるんだよ。”

 ”僕達の友情関係は、多少、風変わりな局面をくぐり抜けて来たよ。成功って言うのは僕達ふたりにとって、特に彼にとっては、とてつもない出来事だったからね。彼には、僕とはまた違った家族との生活があったけど、彼もまた、本当に貧乏な中で育ってきたんだ。よく、彼の家のそばまで車を運転して行ったけど、引き返してくると、部屋から青い光が漏れているのが見えるんだ。彼はビデオゲームで遊んでる、そんな小さなブロンドの子どもだったよ。あと、他に僕達がその年頃に共有してた思いっていうと、自分達が若いからっていうことだけで見くびられるなんて、とんでもない、ってことだったね。”

 「ボーイズ・ライフ」のあとで、マグワイアはハリウッドのめまぐるしい社交の場に巻き込まれていったが、実際のところ彼には、心地よいものでは無かった。彼はもの静かで、恥ずかしがり屋で、不安定で、辛辣なところがあり、皮肉屋だった。自分自身をあまり好きではなかった。彼は「エンパイア・レコード」という作品に出演することになったのだが、ノース・カロライナのセットに立った時、これまで以上に自分がその場に合っていない、と感じていた。彼は、自身が呼ぶところの『ちょっと壊れた状態』になり、ロサンジェルスに戻ってくると、しばらくの間演じるのを止め、セラピストに会いに行った。

 この間、生活と仕事はよりよい方向に進んでいたが、マグワイアは成功というものに対して用心深くなっていた。彼は自分には自己破壊的な傾向があり、それにきちんと取り組まなければならないと、わかっていた。

 ”ものごとが本当にうまく行ってると、ちょっと居心地悪いんだ、そこで、自分の中で葛藤が起こることになる。”
彼は言う、
”自分自身に言い聞かせるんだ、僕は大丈夫、自分に起きてることにうまく対応できるよう、指導者や案内役に頼ろう、ってね。自分の葛藤を、ある時、とても聡明で、こういう問題をよくわかっている女性に話したのを覚えてるよ。彼女は僕にどういう状態なのか尋ねたんだ。僕は言った、「今日はどうにか切り抜けたけど、何もかもちっともうまくいかないって感じなんだ。」彼女は答えてくれたよ、「若くて、お金持ちで、ハンサムっていうのは大変なことに違いないわね」って。”

 ラッセ・ハルストレムの「サイダーハウス・ルール」、アン・リ−の「楽園をください」と同様、「プレザントヴィル」、「アイス・ストーム」それに「ワンダー・ボーイズ」といった作品もまた、マグワイアが子どもの時から尊敬してきた俳優と同世代の人間や、批評家達双方からの信じられないような賞賛を彼にもたらした。

  マグワイアと「ワンダー・ボーイズ」で共演したマイケル・ダグラスは彼を、気紛れな若手俳優が張り合う、よく言われるところのダイアモンドの原石、ジェームズ・ディーンやモンゴメリー・クリフトではなく、もっと興味深い、二人の達人と比較している。

 ”トビーはスペンサー・トレイシーや、ハンフリー・ボガートと似た資質を持ってるね。”
ダグラスは語る。
”彼は自分が嘘いつわりの無いことに自信を持っているし、絶好の機会を逃さない鋭い感覚を備えた、素晴らしい聞き手だよ。会話が途切れるのを怖れたりしないんだ。”

 「プレザント・ヴィル」の監督ゲイリ−・ロスの言葉は、ダグラスの意見に呼応する。
”ひと世代に何度かは、無理なく現実味のある演技を出来る俳優が現れるものだ。ダスティン・ホフマンが出て来たりね。トビーは整った顔立ちじゃ無いけど、映画俳優としていい顔をしてるよ。彼が演じると、本当に存在する人物に思えるんだ、トム・ハンクスがそうであるようにね。”

 マグワイアとしては、役を演じる見本として、ショーン・ペンを−−性格俳優の中の性格俳優である−−目指している。
”僕達に多種多様な演技表現を示してくれる、素晴らしいお手本だよ。「初体験 リッジモント・ハイ 」では、彼のことを本物のサーファーだって思えるし、「カリートの道」の彼はコカイン中毒になった赤い巻き毛のユダヤ人弁護士に見える。「デッドマン・ウォーキング」と「ギター弾きの恋」を見たら、これが同一人物かって驚くよ。彼のやってきた仕事全体を見回してみると、見事で多岐に渡っているから、まるで信じられないくらいさ。ショーン・ペンのようにいい仕事が出来るよう、僕もしばらくの間がんばりたいと思ってるよ。”

 だが、マグワイアの秘密とは何だろうか?彼が、リース・ウィザ−スプーンや、ウェス・ベントリ−などのように、優れた若手俳優の世代の中でもひときわ突出しているのは何故なのだろうか?これは曲がりなりにも、彼自身があれこれ考えて来た疑問でもあるのだ。

  ”ダスティン・ホフマンや、ロバート・デ・ニ−ロ、メリル・ストリ−プ、彼らが演じていると、どうして他の俳優達よりもっと心地よく感じるのか、考え続けていたんだ。他の俳優達がやってなくて、彼らがやってることって何なんだろう?それでこう思った、優れた俳優は皆、自分がスクリーンの中でする行為を信じているんだ、って。彼らは、映画の中で経験してることを、現実のものとして生きているんだ、ってね。”

 ”くだらない作品だったら、特にテレビなんかでは、出演者達がそこにカメラがあるって意識してるせいで、まるでヘンテコなことをやってるっていうのがわかってしまう。だけどロバート・デ・ニ−ロが役を演じている時は、カメラなんて気にしてないように見えるんだ。彼はただ自分の行為をしてるだけで、演技してるわけじゃない−−彼は実際にその役割を生きていて、役柄を演じているわけじゃないんだよね。彼はいつも自分の表現する人物像に誠実だし、それが僕のやろうとしてることなんだよ。”

 ”僕がそんなふうに出来るようになったかって?さあ、どうかな。あと40年たったら、もう一度聞いてみてよ。”

 スケジュールに入れておくとしよう。


By Lara Stuart