Translated by momo

* Tobey Maguire Scratch Resistant *
Homme Arena+ Autumn-Winter 2003/2004


 トビー・マグワイアは偉大な俳優かもしれないが、芸術家ではない。サンセット大通りが急に折れ曲がる申し分のない場所に建つ、しゃれたタン・グリーンの彼のオフィス、マグワイア・プロダクションの会議室のテーブルの上、まさに彼の正面にその証拠がある。
 証拠物件A:黄色い筋の付いた茶色い陶皿、底面に「TM 1999’」とサインあり。

”これは、僕が『カラー・ミ−・マイン』で作ったシガー・トレイなんだよ。”
ロサンジェルスの、手作りできるのが売りの陶器チェーン店名を示しながら、彼は言う。
 ”はじめは別の色に塗ったんだ、そしたら、すっごくみっともなくって、イヤになった。これを見てたらもう、「全くなんて最低なんだ」ってね。で、次は茶色に塗ったんだ、全体をね。そしたら、余計にひどくなってしまってね。今度はいくらかスクラッチを入れたら、一番下の色が見えるようになった、ってわけさ。”

この灰皿は、過去10年間の20本ものフィルムのうち、『アイス・ストーム』でのアートハウスの青臭い少年から、『スパイダーマン』シリーズ、今では『シービスケット』など大作で主役を張るまでになった完全主義者マグワイアの、隠喩と見るのはやさしい。
 トビー・マグワイアは、暗く重々しい−−ほとんど上薬をかけられた陶器のような俳優として−−世界に向け自分を差し出す。彼の本当の人となりにおける、洒脱な部分から賢明な部分へと変化に富む陰影を持つ場所へ到達するには、その表面を掘り起こさねばならない。
 それをうまく成し遂げるのは難題だ。有名なレオナルド・ディカプリオ−−成功と名声の試練を体験してきた彼の親友−−を見てきた事で、トビー・マグワイアは自らの抵抗のスクラッチを大きく、最終段階まで掘り下げていった。
”それはアタマに来るような質問だね”
『スパイダ−マン』で共演したキルスティン・ダンストとの関係を尋ねたら、彼はそう言うだろう。また、スパイダーマンの役がしばし危機にあったとき−−マグワイアが如才なく早めに打ち切ったもう一つの話題だが−−トビーを役に留まらせるのを手助けしたスーパー・エージェントのロン・メイヤーを父に持つ、彼の現在の恋人、ジェニファー・メイヤーについて尋ねた場合にも。
 彼の禁酒の話題−−最近タブロイド紙のヘッドラインを飾った−−は、より狡猾に作られた記事だった。
”僕が生きてきたやり方や、僕が持ってる問題の心理学的な事柄について話すのなら、別に気にしないよ。”
彼は言う。
”僕が言ってるのは、その記事はちょっと論理が不十分だったっていうことだよ。僕は19のときからずっと禁酒してきて、そのことはもう千回も言ってきた。僕は、自分が尊敬して信頼をおける伝統を持つようなどんな組織についても、悪口を言いたくないよ。”

しかしながら、葉巻について尋ねると、トビー・マグワイアはにわかに活気づいた。 準備できた灰皿だけでなく、キューバ産の葉巻の袋も持ち出し、とりつかれた子ども のように、突然自慢気に話しだした。
”これは「ボリバー」、そっちは「キューバ」、”彼は始める、
”これは「ロメオ・イ・ジュリエタ」、で、また「キューバ」、これは「パルディク ス・セリエス・D」。僕は好みがすごく難しいんだ。より濃いめの味が好きでね、ちょ っと噛んだだけでもキツイようなのがいいんだ。完全には乾いてなくて、目の詰まり 過ぎていないものがね。うまく簡単に一服するのは難しいから”

 彼がわたしに葉巻を選んでくれる前に、二人で「モンテ・クリスト」と、とても小 さな「フォンセカ」を吟味した。
”思うに、あなたは「オープスX」は欲しくないんじゃないかな。時々吸うけど、難 しいから”彼は思いやりのある言い方で言う、
”これはとてもいいモノなんだけど、たっぷり食べてぐっすり寝た後じゃないと、気 分が悪くなるんだ。”
わたしたちは、代わりに「コヒバ」に火をつけた。

 役者に溢れているこの街で、トビー・マグワイアは、彼なりのルールを持って生き ている。葉巻にも妨げられず、29歳のマグワイアは、珍しくも汚れが無く、関心を 集めている。スカイバーや、どんなパーティーでも彼を見かけるのは稀だろう。しか し、レイカーズが試合をする時、彼はコートわきで楽しんでいる。タバコ、肉、酒は あきらめ、ヨガと瞑想を取ったのだ。
 彼は、売り出されているのは自分の仕事で、自分の人生ではないと、うやうやしく 提案する。彼は境界線を確立する、ということの専門科だ。いつも新しい子どもでい る、という転居の多い生活の中で青春を過ごしたことが、習慣を形づくった。
 境界の外に身を置くこと、自分自身を拠り所にすることで、彼は鋭い観察者になっ た。

 彼が観察してきたことの一つに、この特別な業務がどのように作用するか、という ことがある。
 ”いつもだけど、僕がインタビュアーに話している時、彼らは自分達が話している 間に自分で作った物語をなぞろうとするんだ”彼は説明する。
”教室から出る前に宿題をやるようなものだよね。彼らは自分のアングルを見つけよ うとし、それを細かく念入りに作り始め、自分の監督のもと、僕を急かそうとしてる のを感じるんだ、たとえそれが全然僕に合ってなくてもね。それって、ほんとに疲れ るよ。ネコとネズミのゲームをそのままやってるってことだからね”

 たとえば、彼は人に分け与えるような人生の教訓など何も持っていないと思ってい る。29という年令の上で理解していることを彼に尋ねると、彼は大きく頭を振る。  ”そんなにわかってることなんてないよ”彼は言う、
それは映画俳優でいること、またセックス・シンボルであることについて、彼がくれ た答えと同じものだ。
”感じることが全てさ。正しくないと感じることがあったら、たぶん僕の直感に問題 があるんだ。人生を人生として受け入れる、それがいいことなのさ。これならわかる けど・・休息を取るのはいいことだよ!睡眠が足りないっていうのはゆゆしき問題だ ね。こんなこと言うのは、僕が充分に眠ってないってことなんだろうけど。”

 彼は、セレブリティーのロマンティックな人生の詳細を知ることで、人々だれも が何かを得られると考えるなんて、とんでもないと思っている。
”全く馬鹿げてるよ”彼は笑いながら言う。
”もしも覚えの早い人だったら、本当にどんなことからでも学べるだろう、ってこと なんだけど。僕がある子どものそばを通り過ぎる間に彼が何かを言って、それに僕が 気が付き、人生が変る。何か当てずっぽうなやり方でそんなことが可能かもしれない、 でも、そんなことをするどんな興味も僕には無いんだ、僕は教師じゃないからね。人々 に何かを与えるようなショットのある映画に出ていたいんだ、その人たちが2時間、 自分の人生から逃避するか、手助けになるような、ね。僕は役立つことに大賛成だけ ど、それは目的じゃない。”

 目的のためではないが、けれども彼は完璧に、申し分なく、ここにいて、しゃべっ ている、一つの理由によって。
 ”僕が選んだ仕事の責任を果たすためにだよ。それは僕の責任ある役目だからね。” カフェイン抜きコーヒーであろう氷の入ったドリンクを運びながら、彼は付け加えた。 ”映画の宣伝のためさ”

 その映画というのは『シー・ビスケット』、ローラ・ヒレンブランドのベストセラー 小説を映画化したもので、大恐慌時代の、小さな競走馬の実話である。マグワイアは、 低い評価しか与えられなかったサラブレッドと、治療効果のある共生によって深く結 びつき、大勝利を収め救済も得る、好戦的で自己破壊的な騎手レッド・ポラードを演 じる。『シー・ビスケット』は、全ての点において想像出来る限りみごとに、明白に 出来ている。初めの方で、シー・ビスケットの脚を見い出すのにつまずきながら進行 するが、心あたたまる結末に向け一気に突き進む。
 この作品のため、マグワイアは肉体的な準備に多大な努力を払った。14ポンド以 上体重を落とし、髪を染め、赤毛のポンパドールにした。しかし、本当の最大の努力 は、感情的な課題についてだった。充分に成長した大人の男として演じる最初の映画 で、5フィート8インチ、いまだカチャカチャ鳴るような声を持つ彼が、ティーンエ イジャーを演じるのにもまだ十分若く見え、大部分そうふるまう、他の二十代後半の 映画スターとは自分を分け隔てる技量を、解き放つ。

わたしがトビー・マグワイアに初めて会った時、彼は20歳になったばかりで、グリフィン・デュンによる短編『デューク・オブ・グルーブ』に主演していた。ジャニス・ジョプリンに会うためにしばらくの間彼をパーティーに連れていき、家に戻ると、夫は荷物をスーツケースに詰めこんでいた、という60年代ハリウッドのクールな母親(ケイト・キャプショー)の息子を演じた。マグワイアの演技はみごとなもので、思春期にある不器用さと驚きの全てをとらえていた。

 まだあまり知られていなかったが、様々な雑誌社とミーティングをしたり出演する映画について語ったりする’ゴー・シーズ’に出るため、トビーはマネージャーと共にニュ−ヨークに来ていた。普通のインタビューをする代わりに、わたしたちはコム・デ・ギャルソンへ行き、トビーは喜々として服やプライス・タグに見いったりしていた。

1997年、アン・リ−の『アイス・ストーム』で70年代の10代を演じて批評家をうならせた後で、わたしはトビーに、逮捕歴のないことや、彼自身のロックバンドやタトゥ−が無い若い俳優としてのプロフィールについてうるさく聞き、ふたたび彼と話をした。”僕の経歴に曇りは無いよ。”彼は答えた。”だから、したいと思ったら、なんでもできるんだ。”

  その状態に持っていくまで、いくらかの時間と努力が必要だった。以前に、人生においておおげさに書かれてしまった事柄を、消し去る、またはついに変容させるには。たとえば不安定さのために目立つ子ども時代、それに19歳で禁酒するようになる前の、パーティーのちょっとした浮かれ騒ぎを招いた早い時期のいくつかの成功のことなどを。

 1997年のその日、トビーは22歳、彼が生まれた時−−カリフォルニアのサンタモニカ、1975年の6月27日だが−ーその時の彼の両親よりもすでに年上だ。
母親は18歳のウエイトレスで、父親は20歳のコックだった。彼らの結婚は1年も続かなかった。トビーはロスやワシントン州、オレゴン州じゅうをずっと点々とした。それは、彼が’メチャクチャ貧乏’として描写する、ひとつの学びの場だった。
”僕の頭の上には屋根があったし、食べて、生き延びた、僕たちには、あちこち壊れてたけど車があったし。少しの間、生活保護を受けてたんじゃないかな。”
 政府から扶養手当てを受けているというのは、人をまごつかせるものだ。しかし、それは悪いというだけではなく、夏休みの最後には学校に行くようになるということを、知らないということでもあった。
”こういう全てのことから学んだ一つは”トビーは思い出す、
”人の心をどう読んで、いかに早く受け入れるか、ってことだった。他に学んだのは、そうすることが僕をうんざりさせてしまう、ってことだったよ。”

 経済的な問題にもかかわらず、トビーの母親は常に、彼の芽を出しかけた情熱を勇気づけた。トビーの興味を持続させることはなかったが、ピアノやバレエの為になんとか費用を工面していた。
 しかしながら、小さな頃でさえ、彼は熟練したやり手だった。8歳のとき、オレゴンのポートランドのローカル・マーケット前で、小銭稼ぎにブレイクダンスや帽子の芸を見せたりしていた。そうして母親が、料理のクラスを取る代わりに100ドルを上げるからと彼に演技の授業を受けさせようとした時、トビーは快く従った。

 まさにそこ、劇場の世界で、トビー・マグワイアは自分自身を発見したのだった。
演じることに夢中になって、彼は学校に反抗するようになった。
”僕は中学1年で逃げ回ってたよ。”彼は認めた。
”僕はちょっとした悪ガキだったんだ。”
彼はそのあと、与えられて広告の仕事も始めていた。最初のうちの一つは、ドリトス・クリスプのものだった。
”ドリトスを4日間も食べ続けてたんだよ、言うけど、もうずっと食べてないよ。”

17歳の時、6話の後でとりやめになったが、彼としては初めてのシチュエーション・コメディ『グレート・スコット』に出演した。彼は10代のほとんどの時間をビデオデッキの前、『ゴッドファーザー』や『グッドフェローズ』を見て過ごし、パチーノやデニ−ロの演技にどっぷり浸かっていた。彼のアイドル、デニ−ロが出演する『ボーイズ・ライフ』のオーディションを受けた時、その役には落ち、数え切れないオーディションを回る間に出会った仲間、レオナルド・ディカプリオに役が行ってしまった。

次の2年間のことを、トビーはこう言ったものだ、
”僕は何か奇妙な、へんなところに行ってしまったんだ。”
彼は疑いに溢れて苦々しい思いをし、感情を傷つけるような皮肉で自分を表わしていた。『エンパイア・レコード』という映画の主役を投げ出し、同じ作品の端役を与えられた時には、’ちょっとした神経衰弱’と彼が呼ぶ状態だった。彼はプロダクションにたどり着いたが、再び、その場所に合わない新しい子どもとなっていたのだった。 彼は自己防衛の武器としてユーモアを用いることにうんざりし、自分の人生や人との関係を考え、『セレスティーヌの予言書』を読んだ、そこでは、偶然で起こることなど何一つ無い、と、書かれていた。それから彼は映画に出ないことを決め、演じるのをやめた。

 安息の日々はおよそ1年続き、彼は自身のより強く、より安定した感覚とともに苦境から身を起こして、再び目的を新たにした。
”人生を通り過ぎてきた、僕にいつも異を唱える人たちに、僕はいらいらさせられてた。”1997年のその日、彼はわたしにそう語った。『プレザント・ヴィル』『サイダ−ハウス・ル−ル』『楽園を下さい』『ワンダ−・ボ−イズ』『スパイダ−マン』『シ−ビスケット』を含む、完全にいつわりの無い作品の公開が始まる以前の事だ。
”だけど、そんな人たちは、僕にある熱情を与えた。止めることの出来ない怒れる野心を。”

そして、笑って彼は付け加えた、
”セラピストを見つけて、カウンセリングして貰うのを楽しみにしてるんだ。”

さあ、そこで今は2003年だ。映画スターであり、プロデューサーでもあるトビー・マグワイアは(彼にはスパイク・リ−の『25時』を公開した手腕がある)明らかに、セラピストを見つけたりはしなかったし、そんな考えを持つ必要もなかったろう。
外側では静かに、内側ではいまだ可能な限り荒々しく、トビー・マグワイアは自分が選択した、スパイダーマンを演じるというステップを選んだたことについて身ぶり手ぶりで答えた。
”『スパイダーマン』は、多くの人々が見る作品に僕が出演した初めての映画だ。映画を見るのが好きな人たちは、おそらく『サイダーハウス・ルール』を見ただろうけど、『スパイダ−マン』は、映画に行かない人たちの心さえも、とらえるんだ。”

彼は、次に起こることに備えてふんばった。
”さあ、行くぞ、オーケイ、僕はもっと有名になるだろう、それが何を意味するにしても。一緒に何がやって来ようとも。何がやって来ようともね。もし僕が、今ある友情を持っていなかったら、本当に恐ろしいことになっていただろう。”

彼は、自身の基本を大事にする人間だ。一番の問題は、時間の使い方という、幸福な仕事人間である。
”絶えず100%力を出さなければいけないし、病気になってもいけない、1日の休みも取ってはいけないんだ。自分がやってるのはそんな仕事さ、充分に健康を保ってね。ある夜僕は言うんだ、オーケイ、4時間か5時間の睡眠なら大丈夫さ、そしてふた晩はそうする、その次、危険地域に入って行くんだ。閉じこもらなければならなくなり、家に帰って、もうだれとも話さなくなって、ベッドに行き、眠らなければならない。”

今日、彼は眠たげに見える。彼の変った、催眠術にかかったような目は、全くアメリカ人的だ。ちょっと赤みがあって、スイミング・プールから上がったばかり、というような白とブルーの目。人は彼がやってきた彼の家を見て考えるだろう、報道関係者が350万ドルのコストに触れずにはおかないハリウッド・ヒルという場所だが、それは実際、ひとつの作品で8ケタを稼ぎ出す俳優にしては、またロス・アンジェルスにしては、とても控え目な家だと。
それは明確なラインを持つ現代建築の家で、90年代に建て替えられた。’暖かみがあるがモダンだ’彼は言う。彼は、ウォ−ホールを含む作品数点を持っており、スーチン、それにモネ、ヴァン・ゴッホのような印象派、また後期印象派の作家達の作品をいつか集めたいと思っている。
”ゴッホの作品は、”トビーは言う、彼はパリのオルセ−美術館によく行っている、”とても本能的なものだね、生き生きして動きだすような絵だよ”

マグワイア邸では、身近にコックがいる。そこでは彼は、欲望を満たすことよりも、より体に必要なものを考える。
”13時間や14時間は働くから、もしそうしなかったら、体格やスタミナを保つのにやっかいな時間を過ごしていただろうね。僕はベジタリアンで、好みが難しいから。大の野菜好きってわけじゃないんだ。日常的には砂糖、パン、パスタ、バターが好きなんだよ”

トビーは籠り好きだ。家は彼の聖域である。そこで彼はもっともリラックスすることが出来、自分でいることが出来る。そこではビートルズを聞くことが出来るし(”全ての時代で最高のバンドだね”)レディオ・ヘッドや(”現在の最高のバンドだ”)ニ−ル・ヤング、ジェフ・バックリ−、ラップやヒップホップ、リズム&ブルースも聞ける。好きな本を読みながら体を丸めたりも出来る。

彼はまた、親しい仲間達と楽しんだりもする。
”友だちが、やって来たいと思う場所になるよう雰囲気作りをしてみるんだ。いい具合だよ。友だちとゲームをするのも好きさ。”
バックギャモンはお気に入りだ。
”最近は、モノポリーもよくやるよ。これもすごくおもしろいね、ほんとに。”
彼にとってゲーム盤は、銀の靴だ。彼はほとんど外へ出かけない。
”実際、僕は見張られるようになってしまっている。たくさんの議題案を持つような多くの人たちに僕は近付きやすいけど、そういう設定された場所に出て行くのは難しいんだ。”

わたしは、彼が、オフィスを大股に歩く時、Tシャツとジーンズについたシワを見ていた。
”カルバン・クラインのメディアムだよ”わたしが尋ねると、答えた。しかし、彼は自分のジーンズについて知らない。ブランドロゴが見つけられるんじゃないかと、彼は確かめに椅子の所に戻って来た。何も見つからない。最終的にはウエストバンドのボタンにロゴが見つかった。
”「ペーパー・デニム・アンド・クロース」?”謎に対して高くなった声で彼は言った。
おそらく、言えるだろうが、写真撮影から得るものがあっても、トビーは服についてはあまり注意を払わないだろう。

トビーは、最近撮り終えた『スパイダーマン2』のあとの休暇中で、それ以外は、ほんのちょっとしか話せないが、先の『スパイダーマン』よりももっとよく出来ていて、完璧な作品である、ということだ。彼は、『X-メン』や、『スターウォーズ』の続編についてもそんなふうに感じている。
” “ルーク・スカイウォ−カーがどんな惑星に行っても、どんなに途方に暮れていても、ヨーダはそこにいて、ルークは彼とともに鍛練を積むんだ。”彼は絶賛する。
“映画のこの部分は、ほんとにクールだね。”

彼の最初の続編を撮ることについて、わたしは尋ねた、どのようにしてピーター・パーカーに感情を近付けていくのだろうか。
”僕はその質問にいつも困るんだ。答えがわかる筈ないものなんだから。”彼は返す。
”僕はいつも、何かを作り上げようと思うだけだよ。”

では、と。彼がベッドルームじゅうに糸を張り巡らすシーンで書かれて来たことだが、これは青年が初めて性的興奮を得た状態のようだと。
”あのシーンにそんな意味は全くないと思うけど、でも、僕もそのことはたくさん聞いてきたよ。”

彼は、思春期における驚異の時代、新しく見い出した力になにか戸惑いを経験しただろうか?
”さあね”彼は言う、笑いながら。
”僕はほんとに女の子が大好きな若いティーンエイジャーで、それが何を意味するか理解しようとせずに物事に分け入ろうとしてた、その重大さを、感情的に、誰かにどんな影響を及ぼすか、なんてことを考えずにね。僕はとっても若くて、興奮してサカリのついたガキだったよ。それってほんとにまるで・・えっと・・”

限界超えてるような?

”ああ、そう”トビーは笑う、
”ああ、いや、こういうことだよ、「おや、女の子たちは僕のこと好きなんだ、ここに人生の他の全てがあるじゃないか」ってね。わかるかい?それは、僕にとってすごく早い時期に始まったんだ、8歳ぐらいの時じゃないかな。とても無邪気だったと思うよ、だけど、僕と女の子は歩き回ってほんのちょっといちゃついてキスしたり、自分達はお互いにボーイフレンドでガールフレンドだよね、なんて言いあったりしてた。とても夢中だったよ。”


By David Keeps