* Weathering the storm *
Wednesday,October 22,1997 Daily Bruin


ハリウッドは無難な映画を好む。俳優や監督においても同様だ。
しかしアン・リーはあえてリスクを冒す。

本人が冗談めかして 『パパは何でも知っている』三部作と呼んでいる 『ウエディングバンケット』 『恋人達の食卓』 『いつか晴れた日に』 の監督であるアン・リーは、最新作 『アイス・ストーム』 において、それまでの路線を変更した。

「もし‘自分と観客との関係’というものがあるとすれば、その関係が多少なりとも発展していく事が必要だと思う。」と、リーは認める。
「私は今まで扱うことのなかった、重々しいテーマを題材にしたいんだ。」

そして、彼の最新作はヘヴィだ。
70年代の社会的混沌を背景に、自己実現のための家族の争いをケヴィン・クライン、ジョーン・アレン、シガニー・ウィーバー、クリスティーナ・リッチ、イライジャ・ウッド、そしてトビー・マグワイアの出演で描く。
自暴自棄、不倫、そして性的探求に満ちて、この作品は「ウォーターゲート」と「パートナー・スワッピング」をもたらした時代をまじめに考察する。
それは、単に茶化すだけだったか、時代を軽んじるだけだった最近の映画と対照をなす。 

しかしながら 『アイス・ストーム』 は、滑稽な潜在的要素と、暗く憂鬱なスタイルとがうまく調和している。

「私のこれまでの作品や悲劇的なものからは、全く離れようと思っているんだ。
それは面白いだろうね。
でも、色々なものをごちゃ混ぜにしてしまうと、それは私にとって本当に危険を伴う事だ。」と、リーは語る。

彼は 『ウエディングバンケット』 を撮り終えてからずっと、こういったトーンの作品をやりたいと思っていた。
しかし、 『恋人達の食卓』 『いつか晴れた日に』 と、脇道へそれてしまう。

 『アイス・ストーム』 は、リーにとってまだたった2度目の、大きな撮影所と大物俳優達との仕事ではあるが、作品の出演者達は俳優の指導者として知られる映画制作者に完全に引き込まれた。

「彼は、非常に優しく穏やかな精神(*)の持ち主であり、とても知的であり、そして自分の欲する物に対して明確なんだ。」 マグワイアはまくし立てる。
「もし違う状況で彼に会っていたなら、僕は彼がある種のお人好しであると思ったかもしれない。しかし、それはもちろん、全く的はずれなことなんだ。
彼が多くの謙虚さとともに歩んできたことは、とてもすばらしいことだよ。なぜなら彼は大変知的な人間であり、一流の映画制作者であるというのが目下の僕の考えだから。」

リーは、俳優達に対して、大変具体的な指示を出す。彼は俳優達が演じる役柄に対して、広範囲に及ぶ議論をしたり、宿題を課すことさえある。

「私たちがそれぞれの役柄の背景をつかみ取るということは、アンにとってとても重要なことなのです。」アレンは語る。
「実際に私たちには、彼にとって重要な質問が書かれた4〜5枚の書類が渡されたんです。それは、自分たちの役柄に対して、自分と向き合い、深く考えさせるような内容でした。」

役作りの大部分は、撮影が始まる前に完了する。一旦カメラが回り始めれば、更に俳優達自身に委ねられる。  
 
「彼は必要な時に(撮影中に)話しかけてくるけど、でもそれは多くではないんだ。」 マグワイアは回想する。
「具体的に言うと、 『さて、もうちょっとこんな感じでやろうか』 と彼が言うと、僕が 『こんなふうに考えたんだけど』 と言う。
そうすると彼が 『OK,じゃあ両方のやり方でやってみよう』 みたいに言うんだよ。
彼が本当に凄いのは、自分自身が望むものをを知っていると言う事。と同時に僕に探究心を起こさせてくれる事だよ。」

リーは映画を制作することに多大な労力を注いだが、それに対するとても明確な反応を、彼は予想してはいなかった。
彼は当初、観客の半分はこの映画を気に入り、後の半分は苦手だと感じるだろうと予想していたのだ。

しかし、『アイス・ストーム』公開の際の論評は、確かに好意的なものであった。
映画に出演した俳優達もまた、この仕事を誇りに思った。

「これは、あれこれあら探しなんかしないで、自分の演技全体に対して満足するこができた作品の一つよ。」
リッチは明かす。
「強いて言うなら、バカっぽい『That Darn Cat(誘拐騒動/ニャンタッチャブル)』みたいなことや、嫌なくだらないことを強制させられるようなことはなかったわ。」

しかし、この作品が完成するのは容易ではなかった。
映画が最終的な編集に至るまでには、18のバージョンが存在したのだ。
早期の段階の編集では、よりユーモアがあり、より風刺的だったが、試写会における観客の反応は、リーにとって満足できるものではなかった。

「観客は岩みたいに何も感じてなかったよ。」 リーは説明する。
「何が起こったのか、分からなかった。だから私は、観客を最後のシーンまで感動させることができたと思えるところまで、何度も再編集を試みた。」

より多くの人々を感動させるために、リーは滑稽さを減らし、瞬間のおもしろさを積み重ねることで映画を作り上げたが、観客は笑う様子を見せなかった。
彼は、それは一種の「being-on-the-edge-of-their-seat(映画に引き込まれて夢中になる)」だと表現した。

しかしながらリーは、興行収入や賞のノミネートなど、ハリウッドで認められることにはそれほど興味がない。

「私は、映画を作るのが好きだし、時々ならばマスコミと話すのも悪くない。」と、リーは認める。
「(しかし)いつも恥かしい事のような気がするんだ。
映画の優劣を決めるようなコンテストの価値を信じてないし、ハリウッドの魅力とかレッドカーペットのようなものも良いとは思わない。気恥ずかしいことなんだ。分からないけど・・・。ケチをつけてる訳じゃないんだよ。
自分自身の事で、そういうことがとても恥かしいんだ。」

「壇上に上がるのは(受賞スピーチをするのは)、なんだか戸惑ってしまう。」 リーは続ける。
「でも、私以外の誰かがノミネートされるのを見るのは好きだし、アジア人の誰かがノミネートされたり、受賞したり、スピーチで誰かに感謝するのを見るのもいいね。
そういったことは、基本的に映画の宣伝になるわけだし。
心の奥底ではその必要性は感じていないけれども、しなければいけない仕事だと思っている。
私はウディ・アレンじゃないからね。それを無視できるほどの根性は持ち合わせていないんだよ。」


By Stephanie Sheh




(*)… 本文では
"He's the sweetest most gentle sprit and so intelligent and specific with what he wants,"
となっていますが、『sprit』 ではなく 『spirit』 の間違いではないかと思います。